rainfiction

アマチュア映画監督 雨傘裕介の世に出ない日々です。

ボイジャーに乗せたレコードのよう


村上春樹さん、エルサレム賞記念講演でガザ攻撃を批判」
2009年2月16日8時27分 asahi.com
http://www.asahi.com/culture/update/0216/TKY200902160022.html?ref=reca


村上春樹氏、エルサレム賞記念講演に出席のニュース。
朝のNHKニュースで知り、驚いて飛び起きた。


動いている村上氏を観られるのは非常に稀である。
ましてや、スーツ姿で講演するなどというケースは初めて観る。


イスラエル文学賞、と聞いて、ガザ攻撃の影響を想う。
村上氏は、「受賞に来ることで、圧倒的な軍事力を使う政策を支持する印象を与えかねないと思ったが、欠席して何も言わないより話すことを選んだ」と語った。


報道された講演の要旨は、村上氏の読者なら良く知っている彼のスタンスを改めて伝えるものだった。


「わたしが小説を書くとき常に心に留めているのは、高くて固い壁と、それにぶつかって壊れる卵のことだ。どちらが正しいか歴史が決めるにしても、わたしは常に卵の側に立つ。壁の側に立つ小説家に何の価値があるだろうか。」


「さらに深い意味がある。わたしたち一人一人は卵であり、壊れやすい殻に入った独自の精神を持ち、壁に直面している。壁の名前は、制度である。制度はわたしたちを守るはずのものだが、時に自己増殖してわたしたちを殺し、わたしたちに他者を冷酷かつ効果的、組織的に殺させる。」


「壁はあまりに高く、強大に見えてわたしたちは希望を失いがちだ。しかし、わたしたち一人一人は、制度にはない、生きた精神を持っている。制度がわたしたちを利用し、増殖するのを許してはならない。制度がわたしたちをつくったのでなく、わたしたちが制度をつくったのだ。」


壁にぶつかり壊れる卵があるとしたら、彼は常に卵の側に立つ。
弱いものの側に立つということでもある。有機的なものの側に立つということでもあるかもしれない。儚く壊れやすいものの側に立つということであるかもしれない。


"The world is a metaphor,Kafka Tamura"---"kafka on the shore"


村上春樹氏は、想像力を頼ってあの場所に立ったように思う。
一読者として、そのように感じる。


制度は我々を殺し、我々は我々を殺しうる。
想像力がそれを成す。
制度は我々を生かし、我々は我々を生かしうる。
想像力がそれを成す。


この世に光速という速度が存在するように、想像力という力もまた存在する。
普段は意識されないけれど、確かに存在する。
国家や宗教や、僕らの営みに寄り添い、深遠なソフトウェアとして機能する。


彼の講演を聴いた人々は、卵を想うことができる。
壁を前に砕ける卵だ。
世界の辺境で息づく卵に暗喩される人々や、心だ。


僕らは対価を得なければ生きていけないと思っている。
仕事をして、家族を養い、未来に対する備えをしていかなければならない。
そういうルールが施されている。
その中で、想像しなければ生きて行けない。


そこに小説の存在余地がある、と僕は思う。
そことはつまり人生であり、僕らのルール上であり、ソフトウェアの走る場所である。


小説によって、世界はメタファーとなる。
想像力を介して広がるハードウェア=小説を獲得して、ソフトウェアにフィードバックされる。そのソフトを宿した僕らは儚い卵にも、強固な壁にもなれる。
物語はそのような機能を有し、僕らはそれらを主に「小説」と呼ぶ。
「映画」でも「俳句」でも「叙事詩」でも「文学」でもいい。


そんな機能を生み出す人として、小説家を規定するならば、村上氏はその役割に対して、誰よりも真摯に、誰よりも深く向き合った人の一人だと、僕には思える。


猫と暮らして、食材を猫と奪い合っていた若き村上さんが、あのような場所に立てるとは、本人も当時は思っていなかっただろう。
小説家であり続けることは、並大抵の努力では果たせなかっただろう。
だが、少しずつ、彼の想像力は小説として形を成し、我々の想像力を得て走り、色とりどりのフィードバックを生み出して、そしてまた彼は何かを想像していったのだろう。その手応えを持って、走ってきたのではないだろうか。
それはつまり、小説家としての優れた仕事であり、今回の講演で示したメッセージもまた、小説家としての、優れた仕事であると僕は見ている。


世界はメタファーで、酷いことも美しいことも起こりうる。
世界の深淵で、想像力は駆け巡っている。誰かのそばで、誰かを想いながら。

そんないいニュースと、メッセージ。
スーツ、似合ってましたよ。村上さん。


近況:
それに比べて財務大臣の会見ときたら。
そしてそれをメインの報道にする日本のメディアときたら。
カール・セーガンの本でも読んで考えた方がいいと思うのは僕だけか?