読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

rainfiction

アマチュア映画監督 雨傘裕介の世に出ない日々です。

「兄兄兄妹」を見た


「兄兄兄妹」/監督:村松正浩 @ドロップシネマパーティ


かつて、自主映画が小さな変換を遂げた時があった。


自主映画の黄金時代を築いた8ミリフィルムがDVへ変わろうとする過渡期。
ぴあフィルムフェスティバルはフィルムしか評価されない。だって「フィルム」フェスティバルだから』
そんな都市伝説っぽい決まり事が囁かれていた最後の時代。

手元に資料がないからアレだが、僕の記憶が正しければ、
97年にグランプリをとった「シンク」という作品は、エポックメイキングな作品であった。
それはDVによって作成された作品であったから。
そしてDVフォーマットの作品が、はじめてグランプリをとったから、である。


準グランプリの「鬼畜大宴会」は、16ミリの作品であり、怨念と憎悪とエネルギー渦巻く
自主映画の狂気と狂喜と侠気をパッケージしたおそるべき作品であったのだが、
「シンク」は、それとは対照的に、フットワーク軽く、ライトに、かつソフトな狂喜を
閉じこめた作品のようにうつった。


僕が大学に入り、自主映画製作を志していたちょうどそのとき。
小さな変換を告げた作品たちであったように思う。静かに小さな変換のスイッチが押されたのだ。


以来、自主映画作家達は名器VX1000をはじめ、VX2000、AVX-100Aを手にし始めた。
フィルムからデジタルフォーマットへ。
僕もご多分に漏れず、デジタル機器を手にし始めた。
映画製作が手軽なものに変わり、愛らしいミニDVカセットを大事に扱い、それでいて、
映画製作を手軽すぎるものにしないよう、自らを律しながら、でも軽やかに映画を撮った。


僕の場合、そこに『シンク』があった。
あんな風に映画が撮れるんだ、と思った。
スイッチを押した映画は、決して『ラブ&ポップ』やその他の自主映画ではなかった。
他の誰かが撮った映画で、スイッチは押されていただろう。
それでも、『シンク』の存在感は薄れなかった。まるで自由で、まるで緻密で、まるで映画。
フィルムじゃなくたっていいじゃないか。
あこがれと共に、僕は『シンク』を高く評価した。
忘れもしない、97年冬のBOX東中野のレイトショー。
かように僕は『シンク』と出逢った。


で、時代は移り変わり。
自主映画=フィルムではなくなり、ビデオが当たり前。
劇場映画ですらHDやらなんやら、フィルムを使わなくなる時代。
編集だっておうちで出来ちゃう。もうフィルムは切らなくていい。
そんな時代がやってきた。


そして再び、僕は村松作品を劇場で見ることになる。
ドロップシネマパーティの企画作品「兄兄兄妹』である。


もはや技術やフォーマットは問題ではない。
映画としての部分を観て行かなければならない。だって自主映画じゃないですよね。
で、向かい合う。仕事帰りの疲れた頭で鑑賞。


舞台挨拶で役者陣が語るには、練習の時間がたくさんあった、とのこと。
監督から演出を受け、演技を吟味し、話を作る時間があったようだ。
即興かどうかは分からないけれど、まあ、即興も多いにあっただろう。

そんな作劇方法とは思えないほど、ちゃんとした映画になっていた。当たり前だが。


村松作品の魅力として、「透明な社会性」があると思う。
閉じているようで閉じていない。
ディテールに凝ったり、キャラクターに頼る、といった方法ではなくて、
生活者としてのキャラクターと、生活の場としての舞台がまずあって、
そっから社会がぼんやりと形定まらぬまま、緩やかに定義されていく。


もちろん、主人公の職場や自宅、企業の陸上部などを設定し、見せることで
ちゃんと説明がついているのだが、そこにはフォーカスが合わない。
そのへんがやたらと巧い。


フォーカスを合わせるのは、内なる社会というか、これもまた透明なんだけど、
登場人物が妙に透明のまま、レイヤーされて重なり合った部分である。
強烈なキャラは外郭に押し出され(これはシンクでも感じた)、
生活者としての主要キャラクターは「気の抜けたリアル」をたたえて行動する。
オフビートって言うと簡単だけど、それが妙にリアルなのだ。
「作り込まれないリアル」を作り込んでいるといおうか。
リアリティを狙って作り込むけど、全然リアルじゃない、ってのと反対ね。


ストーリーについても、起伏はさほどない。
山下敦広監督作品のように、湿った味のある展開でもない。

例えば、思い切りボールを投げる。でも上ではなく、水平に投げる。
どこまで飛んだか。ちょっと跳ねてさらに飛んだ。
そんな飛距離を喜ぶようなストーリーラインである。水平型の感情。
どこまで投げられるか、どこまで飛ぶか、ってのが問題。


こうした演出、作劇、そして演技。
そのへんの巧さに関しては、随一であり、唯一に近く、たぶん、他の誰も撮れない。
だから僕は、村松監督の作品が好きである。


他のフォーマットでも見てみたい。
たとえば35ミリ(「けものがにげる」は未見)とか、二時間の長編とか。
新作長編を準備しているみたいで、楽しみだ。


さあ、どこまで飛ぶのか。
水平に?垂直に?それとも斜めに?


小さいけど、大きな変換。
あれから10年が経っている。