rainfiction

アマチュア映画監督 雨傘裕介の世に出ない日々です。

わが青春の牙突−「るろうに剣心」−


るろうに剣心」を鑑賞したでござるよ。


※悪・即・斬!No More 映画泥棒!!


鑑賞から一週間が経ったが、興行収入も好調で、世界での公開も予定されているようだ。大ヒット御礼!ワーナー御礼!!


そんなムードになるなんて予想していなかったんですが、予告を見る限り「これは(意外と)面白そう!」と感じたので、観に行った次第であります。


「なぜ今、るろうに剣心を実写化!?」


映画化のニュースが流れた時、ほとんどの人はそう思ったであろう。


企画段階のノリを予想してみる。


今だに人気の高いジャパンコミックを世界に向けて発信する時!
ダークナイト」や「X-MEN」みたいな大人向けアメコミ映画も評判いいし、「ボーンシリーズ」に代表されるアクション描写の洗練が本格チャンバラアクションを可能にする!
ハードな演出で定評のある大友啓史を監督に起用し、龍馬伝で好評を博した時代描写をベースにリアル路線追求!大人も子供も楽しめる娯楽作品!イケる!


その狙いは外れていない。


大友監督の特徴と言える、汚した美術と絵作りと幻想的な照明(スモーク多用)は映像に重みを与えているし、ボーン・シリーズさながらのスピーディーなアクション・格闘は、剣心の強さ=『速さ』を意識させるのにピッタリ(最近よく見る『飛び降りワンカット』もあった)。


アミューズ系の俳優を中心としたキャスティングもバッチリだ。
佐藤健は「龍馬伝」での「人斬り以蔵」がハマり役だったが、哀しい人斬りの影をそのまま引き継いだような雰囲気。漫画のイケメンキャラを説得力を持って演じている。
武井咲は古風美少女に見えるし、江口洋介はいつもの演技だが男の色気を宿しているし、吉川晃司は怪しく強いし、蒼井優はメイクが濃い。


特に、原作屈指の人気キャラ、左之助を演じた青木崇高は「そんな無骨ビジュアルで大丈夫か?」との僕の心配を吹き飛ばし、快男児を見事に演じて見せてくれた。
原作通りの細マッチョな胸板が覗く瞬間なんて、もうウットリですよ!


漫画のキャラをバカっぽくなく描写する、というハードルはさっくり超えていて、剣心と左之助が並び立つ佇まいは「おお!」と思わせてくれる。


と、ここまでが良かった所(以下ネタバレを含みます)。


しかし、もちろん欠点はある。
そして、その欠点は決して小さくはない。作品の面白さを徹底的に削いでしまうほどの欠点、すなわち「登場人物が何がしたいのかよくわからない」という、極めて根本的な作劇における欠点である。

結局何がしたいのかわからない登場人物たち


例えば武田観柳。彼は戯画的な悪役として「アヘンの製造と密売で金を儲けて武器商人になって日本を牛耳ってやるんだフハハ」という意思表明を行うが、剣心たちを狙う理由として、唐突に「神谷道場のあるところに港つくるんよ」という目的が加わってしまっている。

元士族のゴロツキを雇うと共に、出自不明の用心棒たちを雇いながら剣心をスカウトしてみたりして、「何がしたいんだこのおっさん」と思わせてくれる。一貫性がなく、整理されていない。



敵の面々も、なぜ武田観柳の元に集うのかよくわからない。


鵜堂刃衛に至っては神谷活心流を名乗って辻斬りをしたり、用心棒として雇われてるっぽいけど、突然抜け出して薫を攫って剣心の「人斬り」としての本性を呼び覚まそうとしたり、なかなか忙しい。なぜか炎に包まれた寺院でモゴモゴ言ってる。そこどこだよ!?お前んちかよ!燃えてるよ!消せよ!


斎藤一は警官業に忙しい。辻斬りが何度も起こっているというのに、わざわざ同僚相手に手口を説明してくれる。剣心とちょっと立ち会って説教するが、あくまで警官の立場としての説教で、不殺を掲げる剣心との対比たりえていない。非情な新撰組隊長は、実はいい人なのである。


相手がこの通りなので、味方側もよくわからん動機ばかり。
道場の再興を願う薫は辻斬りを追っているはずなのに、ゴロツキ共の一人も倒せず、すごすごと飯炊き女に成り下がる。辻斬りのせいで道場は汚名を被っているはずなのに、周囲の住人から慕われているらしく、病人が担ぎ込まれる避難所と化す。なぜだ。


薫は剣心の希望として描かれねばならないはずだ。神谷活心流の師範代として、新時代に「人を活かす剣」を掲げ、父を失っても強く生きていることを、説得力を持って描き出さねばならないのでは・・・。


弥彦はただの門下生で居候。原作だと元士族で、生き延びるためにスリに身をやつしているが、強くなりたいという上昇志向が高いキャラなのに、映画では空気。うるさいガキ。
左之助はいつのまにかパーティの一員。元赤報隊という軽くない出自を捨てたのはいいが、喧嘩屋ってキャラ付けだけなので、命がけの決戦に何も背負わず臨んでしまう。喧嘩したいだけなのね。


恵に至っては、自分の罪を贖おうとする気配がない。牛鍋食って一人で焦ってる。行き当たりばったりに弥彦に助けを求めたり。何か特別な理由があったのだろうか。


そして剣心は…暗殺者時代の描写があるけれど、新しい時代に不殺を掲げる剣士として、今回の物語でどう振舞うのか徹底されていない。
彼自身の正義と新しい時代のために戦うという姿勢が見えづらい。やはりそれは、敵の目的が一貫していないからなのだろう。

バランス主義の犠牲

徹頭徹尾、各キャラの思惑、狙いがハッキリ定められていないので、せっかくのアクションも燃えない。燃えさせてくれない。おそらく制作陣はアクションに相当の熱意を持ってこの映画を作ったはずだ。その成果はすばらしいものであった。しかし、肝心のアクションを乗せるドラマに失敗している。燃えないアクションは物悲しい。良質なアクションならばなおさらだ。


では、なぜそのような欠点を持つに至ったか。それは「バランスをとりすぎた」ためではないか、と考えている。


観賞後、原作の1巻〜5巻を再読し、どのエピソードが採用され、再構成されたかを確かめてみた。アクション的クライマックスを武田観柳亭の決戦、ストーリー的クライマックスを鵜堂刃衛戦にもってきたのは好判断、というかそれしかない。
原作で重要な位置を占める「四乃森蒼紫」というキャラをカットしているのも重要。再構成を行うにあたってつじつまを合わせて整理した。そこまではいい。
しかし、キャラは取捨選択しつつも、エピソードやエッセンスをなんとか取り込み、原作へ目配せする姿勢が中途半端さを生み出している。


たとえば「外印」というキャラクター(演じるのは綾野剛)。
彼は敵の一員として登場するが、どうやら原作における「四乃森蒼紫」と「般若」というキャラを足して二で割ったキャラクターのようだ。原作では、それぞれ剣心のライバル足る「強さ」と、新たな時代になってもなお最強を求めようとする「信念」を持ったキャラである。


しかし、本作の外印の印象は「中途半端」。
敵の中でも何かワケ有りげに扱われており、恵に対して助言めいた忠告をするなど、ただの悪役ではないことがわかる。
そして剣心との決戦において、妙な造形の面が取れて素顔が・・・。ひどい傷。


だが、彼の素性や過去、信念が充分に語られていないので、観客は彼が何らかの因縁を持っていると想像させられるが「あ、なんかひどい過去があったのね」程度にしか思えない。
蒼紫ほど目立って強くはなく、かといって般若ほど信念を持ちえぬキャラクターとなり、中途半端に処理されてしまうのだ。


ならば、剣心たちの正義に対して、純粋に「強さ」を求めるだけのキャラ、あるいはただの手練として登場させたほうが良かったかもしれない。もしくは一切出さないのが得策では。
外印は犠牲になったのだ。作り手たちのバランスを取るという姿勢の犠牲にな・・・。


無理にエピソードを羅列せず、原作の設定を無理に取り込まずとも面白い展開が作れたはずなのだ。こんな映画を作りたい!このアクションを見せたい!作り手の想いが一点突破すれば、感動はあとからついてくる。そう思うのは甘いだろうか。


剣心が振るう剣は、新時代を生きようとする者のための剣。
人を斬った過去を経て、人を殺さないという誓いを立てて、新しい時代のために戦う。
その本筋さえあれば、障害としての敵の狙いはハッキリし、主人公が立ち向かうべき主題が浮かび上がってくるはずなのだ。

一点突破。わが青春の牙突


一点突破という意味では、これだけは言っておかなければなるまい。
一点突破主義の極み、斎藤一の「牙突」についてだ。


正直な話、「るろうに剣心」の実写化と聞いて、真っ先に思った。
「…牙突は出るのか?」


今回も「牙突」観たさに劇場に足を運んだといっても過言ではない。江口洋介。不足はない。


序盤、斎藤一と剣心との鍔迫り合い。牙突はまだまだ取っとくか…。フフ…。怖い怖い…。


中盤ダラダラ。ちょっと長いよ…。早く斎藤を!そろそろ斎藤方面消化しないと、どん詰まりだよ!?


よっしゃ!須藤元気とのジャッキー的どつきあいアクション!それなりに面白いぞ!菜食主義者ってなんだよ。


いよいよクライマックス!斎藤出た!構えた!
牙突キター!!!



次の瞬間、僕は文字通りズッコケた。ホントに椅子からガクっとずり落ちた。それほどまでのインパクト。
あまりの期待値とその落差ゆえであろうか。それとも僕は、本来の牙突の威力を見誤っていたのだろうか。
ぜひ、劇場で確かめていただきたい。


大減点である。
制作陣は、牙突を花火かなにかと勘違いしているのではないか。最後にドカーン、ってやかましいわ。


そもそも牙突とは、新選組時代に磨かれた人殺しとしての必殺技うんたらかんた(ry
つまり「人を殺すために洗練された技」であり、作中において剣心の剣と最も対比される技なのである。


剣心(人斬りver)を引き出し追い詰める。幕末の殺伐さを明治の世に呼び起こす技なのだ。


ダークヒーローとしての斎藤一を、本作のようなキャラクターに据えたのは良しとしよう。
だが、ならば、牙突は出して欲しくなかった。


俺が、いや、俺たちが牙突に求めていたのは、ロマンなんだよ!!
牙突は幕末の騒乱と人斬りの狂気を体現した技なんだよ!
その技に、剣心は人斬りの狂気を呼び覚ますんだよ!


がっかり牙突を見せられて確信した。この映画はロマンを追い求めていない。
明治剣客ロマンたん、もとい明治剣客浪漫譚を原作としているのにも関わらず。


ロマンとは。アクション映画におけるロマンとは。


理解するには「イップ・マン〜序章〜」をご覧いただきたい。
聞けば、大友監督は香港映画好きで、同作も好きとのこと。
ならばなぜ!イップ・マンのロマンを理解していないのだッ!?


激動の時代の香港。詠春拳の達人として穏やかに暮らすイップ・マン。しかし時代は非常に彼の居場所を奪い、仲間を奪う。
対峙するのは日本軍による理不尽な暴力と支配。同朋の死を前に、悲しみと怒りを背負った彼はついに詠春拳を解き放つ・・・。
ロマンたっぷりである。ロマンしかないと言ってよい。


「イップ・マン」が名作であっても、同じような映画など作りたくはないかもしれない。確かにそうだ。


だが安心してほしい。決して同じ映画などになりはしない。それだけの気概とオリジナリティを「るろうに剣心」からは感じる。その意気を、もう少し、ほんのちょっとだけ、見せ場づくりやエピソードの収集ではなく、話の本筋とロマンを貫く姿勢に活かしてほしかった。
ほんのちょっとの工夫でいいのだ。
敵と主人公に、背負わせ、貫かせる。それだけでいいのだ。


平日の日中。夏休み中の少年が、一人で映画を観ていた。
彼はこの映画に何を感じるのであろうか。
すぐにチャンバラを始めるかもしれない。剣道を習いたいと親にせがむかもしれない。


るろうに剣心」は、そんな少年への淡い期待を抱かせてくれる映画であることは間違いない。
大人になってしまった僕らがウダウダ言うべきではないのかもしれない。


だからこそ、子供の鑑賞に応えようではないか。
もっと燃えさせてくれ。シンプルでいい。バランスは要らない。
思春期の僕たちが一点突破の「牙突」に憧れたように、パワフルで、心に突き刺さる伸びやかな物語を見せてくれ。


ああしたほうがいい。こうした方が燃える。
鑑賞後、そんな妄想が繰り広げられる映画であった。そういう意味では、とても勉強になる映画だ。


素材が良い。役者も良い。スタッフも優秀な人ばかりだろう。
だからこそ、もっと頑張れよ!と言いたくなる映画。


今回の好評を受けて作られる可能性がある「次回作」に期待である。


なお、その際は、瀕死のヒロインがテーマを2分近く、ハァハァ言いながら語るのはやめてほしい。
加えて「ハァ〜ヒィヤ〜へァー」みたいな女性ボーカルのBGMを使って、荘厳っぽい雰囲気を出すのもやめてね。なんかちょっとごまかされた気分になるから。



蛇足ながら「ぼくのかんがえた るろうにけんしん」を書いてみよう。
※我ながらウザイので、ほんとに蛇足です。




弥彦は元士族で、敵の末端のスリだが、アヘン売買の実態を知り、恵と共に屋敷を抜け出し、剣心たちに匿われる。
しかし、恵を付け狙う悪役に対し、神谷活心流で立ち向かう弥彦はボコられ、ついでに毒を盛られる。瀕死。
恵は単身、観柳を殺すため観柳亭に乗り込むが、あえなく捕まる。
瀕死状態から回復した弥彦は、それでも恵を救おうとあがく。「強くなりてぇ…!」
その頭を叩く左之助と剣心。「夕飯の用意しとけ。五人分だ」



観柳の悪事はアヘン製造+武器商人。しかし本来の目的は再び世に混沌を!であった。
その狙いに同調した鵜堂刃衛は観柳と手を組む。辻斬り・警察襲撃はその手始め。やがてかつての敵、剣心の存在を知る(幕末の因縁あり)。
一度手合わせする両者。剣心はまだ人斬りに戻っていないと判断した刃衛はエスカレート。ターゲットを薫に変更。観柳を利用し、薫を攫う。



観柳邸では大立ち回り。ガトリング砲を前に手も足も出ない剣心たち。
そこで、今まで観柳と刃衛を泳がせていた斎藤一が登場。
そこで牙突!ガトリング砲の側部を狙い一発破壊!!さらに観柳を斬殺!!
見れば、今まで戦ってきた敵たちも一人残らず殺されている!
「悪・即・斬。それが幕末を生きた俺たちが共有する、唯一の正義ではなかったか」
剣心激怒。
斎藤「おっと、道場に戻らないとヤバイぜ」



刃衛と対する剣心。背車刀に苦戦。木陰から眺める斎藤一。「…阿呆が」
心の一法で薫を止め、「人斬りに戻れ」と剣心を追い詰める刃衛。
瞬間、顔面に剣戟。剣閃はおろか姿も見えない。
「殺してやるからさっさとかかってこい」


斎藤、刃衛は喜ぶ。「人斬りの眼だ」


人斬り剣心は刃衛を圧倒。双龍閃。「冥土の土産に脳天に一撃をくれよ」
狂った刃衛は人斬りとしてしか生きれなかった哀れな存在。


しかし薫の制止により、我を取り戻す剣心。
敗北した刃衛は自刃。


斎藤現れる。牙突の構え。しかし剣心は人斬りの眼ではない。
「新時代のために殺した人、死んでいった人たち、そして今を活きる人たちのために『不殺』を貫く」と語る剣心。
「やめとこう。今のお前を殺してもつまらん」的な感じ。
「さっきのお前はいい眼をしていたぞ」と不敵に笑い、新時代の闇に消える斎藤。



やや活気を取り戻した神谷道場。それを眺めて、一人去ろうとする剣心。再び流浪の旅に出る。
だが、薫は剣心を止める。
「守るとか言ってたわよね。まだまだ道場もこれからなんだから・・・お味噌も醤油も足りない」とかなんとか。
左之助、弥彦、恵。そして薫。るろうに剣心は新たに守るべき存在を見つけたのだ。
「しばらく、厄介になるでござるよ」  完。


どうっすか!?
・・・やっぱ才能ねえな俺。