rainfiction

アマチュア映画監督 雨傘裕介の世に出ない日々です。

猫になりたい

昔、実家にいたころ、猫を飼っていた。


小学3年のときに、家の裏の駐車場で遊んでいると、小さな鳴き声が聞こえてきた。家の縁の下で小さな三毛猫がうずくまっている。僕が少年期特有の向こう見ずさと好奇心で、何も考えずに抱き上げると、低いのか高いのか、唸るようにか細い声で鳴いた。兄と友達に囲まれて、僕の腕の中で鳴いたその声、体温を僕はよく覚えている。


今思えば、とても賢い猫で、ちゃっかり僕らからミルクを得ただけでなく、ほどなく僕のうちの縁の下から土間へ上がる道筋を見つけて、いつの間にかこたつに入っていたり、えさをねだりに来たりして。飼う事を反対していた祖父も両親も、そのあまりの図々しさと、どこか漂う人間くささに負けて、うちに置いてあげようということになった。彼女(メス)は、最初からそれを知っていたように振る舞っていた。とても賢い猫だった。


母親が綺麗な名前を考えた。「美也子」という名前。
子供心に素敵な名前だと思ったし、気品があって、人間味があって、それでいて、猫っぽい。通り名は「ミャーコ」だったけれど、彼女はそれに満足しているみたいだった。呼ぶと、ぴんと耳を上げて振り向いた。賢い猫だったのだ。


僕と兄は、美也子と一緒に育った。どちらが抱いて寝るかを争い、朝起きると、彼女がどちらの布団で寝たかを報告し合う。冬には僕らの布団から顔を出して眠った。その姿がとても愛らしかった。


夏にはノミがついてしまって、僕と兄貴は皮膚病まがいの被害に遭うのだが、彼女はそんなことも気にせず、蚤取りに夢中になる僕らが眠りを妨げるのを、とても煩わしそうにして後ろ足であしらう。時には噛み付き、引っ掻く。それでもめげずにノミをとる。
お陰で僕は蚤取りが大の得意になってしまった。今でも自信がある。


すぐに、彼女は僕らの家族の中心で、女王で、僕らの妹になった。僕らは彼女が大好きだった。
僕と兄は、彼女とともに育った。雑種の三毛猫だったけれど、大きな目と綺麗な毛並みと、ぴんと張ったヒゲと、白くてしなやかな両足はとても美しかった。いまでもその感触とか、暖かさだとか、猫と言う生き物の持つ気高さをはっきりと思い出せる。


それらを何度も確かめながら、僕らは育った。病める時も健やかなる時も、一緒にご飯を食べ、一緒に眠り、一緒に笑い、一緒に泣いた。夜更かしを覚えて、こっそり夜中に家に帰ってくると、きまって彼女は起きだしてエサをくれと鳴いた。徹夜でゲームをしていたら、座ったまま目を閉じて居眠りしていた。しかも鼻ちょうちんで。人間みたいな猫だった。


日曜日の朝は誰よりも早く起きて、エサをねだって、午後に気ままに眠った。夜中に窓の外から僕を起こして、冷えた窓を開けさせて、布団にもぐりこんできた。ネズミやら蜥蜴やらをどこからか捕まえて来て、誇らしそうに僕らに見せびらかした。僕ら家族がそろって外出するとき、家の外までついてきて、縄張りを越せないところで、まるで犬みたいに大きな声で鳴いた。何度も寂しいそうな声で鳴いて、僕らを困らせた。僕らはその度に、彼女を話題にして笑った。心から微笑んだ。


つまるところ、僕らは彼女のそんな魅力に参っていたわけだ。
とても賢い猫だった。


いつだったか、祖父が亡くなって、僕が一人その部屋で過ごしていたときに、彼女がやってきて、一緒にいたことがある。
そう、高校1年の冬の日曜日だ。
彼女は最初、落ち着かないようすで戸棚を探ったり、ぬくもりを失ったコタツへ潜り込んだりしていたのだが、僕が彼女ほど気乗りしないのを見て取って、西日に目を細めて、やがてじっと座って、ぼんやりと窓の外に目をやった。


彼女の毛並みが西日に照らされて、黄金に光っていた。
僕と彼女、響いてくる日常の音から離れて、そっと留まっていた。
西の方向に何があったのだろう、彼女は西の空に目を向けて、不定期にしっぽを揺らしながら、ずっとそうしていた。僕はその姿を見ていた。美しいと思った。寂しいと思った。呼べば、答えると思った。でも彼女は、とろんとした眠そうな目をして、日差しの暖かさを確かめるように、あくびをひとつ、西の空を見つめていた。時間が止まったように思えた。


僕は彼女の名前を思わず、呼んだ。すると彼女は振り向いて、僕と目を合わせて、どこか寂しそうな目をして、やがて元の姿勢に戻った。
僕の言葉は彼女に届かない。西の空の先にある世界を、彼女は知らない。僕も知らない。知る由もない。僕はそれを知った。
黄金色の西日を吸い込んで、僕らはそこで、そっと留まった。


僕の世界の認識は、今でもそこに戻る。そこがきっと、原点だ。



幸せとは暖かいこと。
手を伸ばせばその暖かさに触れることができる。
僕らはそれを、幸せと呼ぶことができる。




一ヶ月後、彼女は死んでしまった。
僕らは冷えてしまった彼女を庭に埋めた。僕は感傷的になりすぎて、「亡き王女のためのパヴァーヌ」を夜中に大音量で聴いた。起きだしてきた兄が止めたけれど、僕らの女王は死んでしまったから、僕は持てる限りの心で、彼女を悼んだ。
彼女のために開けられた窓はもう開くことはない。彼女のために用意されたものたちは、もう必要がない。


僕らは彼女と一緒に育ったのだ。
だから、喪失が喪失として、そこにあった。
今もある。そのときと同じように、今も触れることができる。それは過去、でもひとつの、本当でもある。


きっと彼女が居なかったら、僕らは違ってしまっていただろう。
あのとき彼女を抱き上げなければ、きっと違っていたはずだ。
それを彼女は知っていた。
とても賢い猫だった。


あのとき、彼女は何を見ていたのだろう。
自分の運命か、ただの西日か。
僕が猫になって、気ままに過ごしていつまでも寝ていられる素敵な身分になれるなら、聞いてみたい。
「美也子、君はあのとき、何を見ていたの?」と。


すると、きっと教えてくれるはず。
「幸せって、暖かいことなのよ」
愛らしいしっぽをひとふり、教えてくれるはず。


だから、僕も兄も、今でも猫が大好きなのだ。


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6年ほど前に書いた日記。
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