rainfiction

アマチュア映画監督 雨傘裕介の世に出ない日々です。

天使たちのシーン〜小沢健二について

mixiからの転載です。
超長文。自分のために転記。

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月一回の日記。
書かないんじゃあなくて、書けない。
僕に言えるのはそれだけだ。


初夏ですね!
今回は時候の挨拶はこれくらいにして、ものすごく大事なことを語ることにしよう。ええ、とっても大事なことだ。あなたにとっても、僕にとっても。


そうです。小沢健二です。


というわけで、小沢健二に興味がない人は今回はスルーしてほしい。小沢健二が嫌いな人は読まなくていい。僕のことが嫌いな人はそっとブラウザを閉じて、僕の目前にやってきて、思うさま、存分に罵ってほしい。興奮します。




そのくらい、いつにもまして、迸った文章を書くつもりだ。
警告は行ったぞ。


よし、ならば読んでもらおう。僕のことを嫌いになるかもしれないが、罵倒を受けるチャンスが増えると解釈する。マゾヒスティックポジティビティ。興奮します。


かなり長いので心して読んでいただきたい。iPadの CMみたいな感じでスマートな姿勢で読むことを推奨する。
なお、文中の引用や発言内容は全て僕の記憶によるものである。よってこれらをコピペしたりWikipediaと違うと僕を責めたり訴えたりしないでほしい。訴訟(それ)はちょっと。


冗談はさておき、なぜ今、小沢健二なのか。


無論、約十四年ぶりとなる全国ツアー『ひふみよ』が行われているからである(2010年6月中旬現在)。小沢健二復活の時期だからである。
それ以上の理由などない。


僕は今回のライブに行けていない。
チケットがとれなかったのだ。


だからこそ、僕の中で育まれた小沢健二についての想いと、なぜ僕は小沢健二を支持するのか、を語ることが必要であると感じた。アップデートされないままの、僕の青春。今ふたたびの青春と、我が音楽に彩られた古き青春を語る必要があるのである。誰に頼まれるわけでもなく。


『ひふみよ』については多くは語れない。
小沢健二の近況についても、ほとんど知らない。
彼がデビューした1993年から活動を休止する1998年を主に語ろうと思う。
僕の年齢にして、14歳から19歳。思春期ど真ん中。

出会い


最初に聴いたのは『犬は吠えるがキャラバンは進む』だった。
フリッパーズ・ギター解散後、ソロデビューする彼のインタビュー記事を、なぜか家にあった『CUTIE』で読んだことが記憶に残っていて、地元のレンタルショップで借りたのである。


彼のその恣意的なアルバムタイトルは、僕に「なんじゃこの変わったタイトルは」と思わせ、レンタルへ至らせた。おそらく聴き手である僕が思春期に差し掛かる時期であったことが大きな要因だと思う。それまで、歌謡曲やらヒット曲やらをぽつぽつと聴いていたのと異なり、中学の友人と一緒にスチャダラパー電気グルーヴを聴きはじめた時期。僕が抱きはじめた「文化」への好奇心と、思春期故の「なんか人と違うことをしたい」という包茎丸出しの童貞自我に呼応したのが、そのアルバムタイトルだったというわけだ。
「あの子は太陽の小町〜 エンジェル!」から「犬は吠えるがキャラバンは進む」である。
その落差。温度差。文化的栄養の豊穣さ。何かが匂った。
今まで聴いていたアーティストとは何かが違う。違うはずだ。とくべつな何かがあるという予感。
そして、そんなの聴いてる俺カッコいい。そんなやましい好奇心。はじめはそんなもんでした。ええ。


ライナーノーツ。
読んだことがない人は読んで欲しい。
犬は吠えるがキャラバンは進む」はアラビアの古い諺で・・・などと書かれている。
「天気読み」。
聴いたことがない人は聴いて欲しい。
凝りに凝ったラブソングである。


結論から言うと、僕の予感は当たっていた。
今までのどんなアーティストとも違う。そして予感は確信に変わる。僕にとって、特別な音楽になる。特別なアーティストになる。
その確信を得るに至った楽曲は、間違いなく「天使たちのシーン」だった。


13分31秒からなるその楽曲は、僕の扉を開ける力を持っていた。
音楽への扉である。生と性への扉である。つまり世界への扉だ。


陳腐な表現をあえて使おう。
僕はその曲に代表されるこのアルバムに、文字通りノックアウトされた。文字通り、ダビングしたテープが擦り切れるくらい繰り返し聞いた。没頭した。歌詞を覚え、メロディの可能性を探り、リズムを体得し、そこに流れる何かに耳を澄ませた。音楽の良し悪しなんて分かりもしない、ただの田舎の中学生にとって、それは最良の栄養となった。ただのノーマルのテープが、かけがえのない音源になった。
A面とB面が曲の途中でガコっと切り替わるタイミングまで、必要不可欠な要素となった。時代である(ちなみに「「カウボーイ疾走」の途中)。


気持ちの悪いファン心理、と思われるかもしれない。持ち上げすぎやで!とツッコまれるかもしれない。でも、そういう時期ってありますよね。誰にでもきっと。


僕を惹きつけたのは、一つに深みである。
歌詞表現での深みと言っていいだろう。例えば、「天使たちのシーン」の一節。


「太陽が次第に近づいてきてる 横向いてしゃべりまくる僕たちとか
 甲高い声で笑い始める彼女の ネッカチーフの鮮やかな赤い色」 


サビの前に挟み込まれるこの歌詞。何を表現しているのか、はっきりいってよくわからない。だけど、情景に潜む何か、緊張感を伴う何かがあるのを感じる。そこで考える。でも分からない。ここだけ取り出してもよく分からない。そこで、その後に続くサビの歌詞。


「愛すべき生まれて育っていくサークル 気まぐれにその大きな手で触れるよ
 長い夜を貫き廻っていくサークル 君や僕を繋いでる緩やかな止まらないルール」


こんなフレーズを叩きつけられた僕の心境を想像してもらいたい。意味を探らずにはいられない。自分のものにしたいと思うのは何ら不思議ではないはずなのだ。

「LIFE」の時代


斯様にして、僕は小沢健二と出会う。学校から帰ったらテープを聴く。折しも高校受験。猫と遊んだりスーファミしたり勉強したりしながら、少し開いた扉の向こうへ想いを馳せる。そうして僕の中学時代は終わりを迎え、高校へ進学する。無論、モテない。冴えない。


高校受験が終わったその足で、僕はあるシングルを買った。
1994年3月。
今夜はブギーバック」である。


今でこそ当たり前となったfeaturingという表現を普及させ、日本語ラップを商業ラインに乗せ、そして音楽が織り成す愛と切なさと多幸感を余すことなく表現した曲であった。まさに、心のベストテン第一位はこんな曲だったのだ。
『心変わりの相手は僕に決めなよ』というフレーズは、今も昔も、女性に言いたいフレーズ第一位である(オレ調べ)。


そして高校一年の夏。夏の終わりにセカンドアルバム『LIFE』がリリースされる。 1994年。とても暑い夏だった。
まず、『犬』のような詩的なロックを期待していた僕は、ある違和感を感じた。あれ?あれあれ?ただの歌謡曲になってない?薄いラブソングじゃない?ラブリー?仔猫ちゃん?セレナーデ?ええ?そんな率直な違和感である。


だが、恋愛の高揚感を主題に展開する曲は、ただただ愉しい音楽に他ならなかった。ファンクやR&B、古き良き邦楽、オーケストラとストリングス。ライブやメディアで披露される編成を見てもわかる通り、多重な音楽的素養を前面に配し、そして重厚な恋愛観と、性愛のフィルターを通して見た世界をパッケージした音楽。それでいて、言いたいことはシンプル。それすなわち、LIFE。生活、生命、人生。
いつしか、ファーストと同じ展開を期待していた自分の願望がちっぽけに思え、小沢健二は新たな扉をまた開いてくれたのだ、と思わざるを得なかった。


彼は渋谷系の王子様となり、東大出身の変わり者、ナルシスティックで恋愛史上主義者のアイコンとなった。続くシングルの連発、タイアップ、メディア露出攻勢。最も勢力的に活動が行われた時期である。
無論僕は、TVを録画し、二枚のアルバム、シングルを聴きまくった。

パクリ疑惑とオリジナリティ


ここで浮かび上がるのが『パクリ疑惑』である。『LIFE』所収の楽曲のみならず、彼のほとんどの楽曲には元ネタが存在し、小沢健二は過去に発表されたメジャー、マイナーな名曲を完全に悪びれることなく引用しまくっているのだ。


世間には、このパクリ野郎!才能ってパクリの才能か?というバッシングが一部で生まれた。いや違う、ヒップホップに代表されるサンプリング手法をソングライティングに用いたのだ、比類なき音楽的素養を持つ彼だからこそできたことなのだ。悔しかったら真似してみやがれ!との反論もあった。


僕は正直、どっちでもええやん、と思っていたが、しかしそこはオタク気質を発揮し、元ネタを探ってレコード屋を回ることになった。ネットもケータイもない時代。雑誌と口コミを元にネタ探しの旅。フリーソウル、クラプトン、ロレッタ・ハロウェイ、ポール・サイモン、ファンクの名曲からジャクソン5…。メロディやギミックだけでなく、タイトルや歌詞の引用…。
これはパクリだ!と断じるに足るくらい、見事な引用の数々を確かめ、正直戸惑った。僕の好きな曲は、ただの名曲のパクリで、なんら新しくオリジナリティに溢れたものではないのだ…。そう思わなくもなかった。


しかし。
僕はやはり、小沢健二の楽曲を、ただのパクリと断じ得ない。それには二つの理由がある。
一つに、彼のインタビューで語られていた「ラブリーは完全にオリジナル」発言である。
代表曲のひとつ、「ラブリー」について。イントロからして、思いっきりギターリフをサンプリングしている楽曲だが、それについて彼は、「ドアノックとかラブリーは完全にオリジナル」と発言している。ここでいうオリジナルとは、楽曲の持つ力、歌うことによって生じる何かが、完全に独自のものである、という意味である。引用やサンプリングだとしても、かの楽曲は小沢健二にしか作れず、小沢健二が歌うことで生じる体験、意味合いは、唯一無二である、と解釈できる。


そして何より、オリジナリティとは何か?との問に対する雄弁な答えであると僕は解釈している。つまり、引用だろうがパクリだろうが、本当の意味でのオリジナルなんてものは、この時代において決して存在せず、影響とインスピレーションとインスパイアを、あらゆるものは避けられない、という答えだ。


要するに自分というひたすらオリジナリティに溢れている、と思われているものは、実は様々なものの影響を受け、そして与えている。狭義のオリジナリティにこだわるよりも、あらゆる意味でのオリジナリティの可能性を探ることが、オリジナルであるという意味ではなかったか。いいものはいい。影響を隠さない。サンプリングして良くなるなら、する。
それを自覚し、表面化し、叩きつける。歌い上げる。それが小沢健二のオリジナリティなのだ、という答えだ。独自性とは、生むものではなく、生まれるものだ、と言い換えても良いかもしれない。


二つ目の理由。
これは個人的な理由だ。やはり彼は、その稀なる音楽的素養を披露しまくり、再び、僕の扉を開いてくれたからである。広くて深い音楽の海へ。純化された人々の営みを表現する世界への扉。僕は彼の音楽を通じて、とても大切な扉を開いたのだ。その体験は、きっと僕にとってのオリジナルだったんだ、と、今になって思う。彼の影響で、好きになった音楽、アーティストは数えきれない。


歌うことで生じる力。体験。それはすなわちLIFEである。
音楽を聴くことで生じる関係性。それはすなわちLIFEである。
オリジナリティとは、そのベクトルに向けられるべきものなのだ。

歌い上げられる「関係性」について


関係性について。
小沢健二の楽曲は、関係性を表現したものである、と仮定しよう。恋愛において。生活において。主に、君と僕、において。
彼の代表的な作品群の中で、関係性は主に恋愛を主題としている。まさにラブリーで歌われていることだ。君と僕とは恋に落ちなくちゃ、である。
もちろん恋愛以外の歌もある。君と僕の歌ではなく、自己に向けた歌、失恋の歌。様々な名曲が並ぶ中でも、共通して言えるのは、個に対する外部との関係性を独自の観点で表現している、ということだ。それを言ってしまえば、あらゆる表現にもあてはまることだが、小沢健二の場合は、それを簡単に、わかりやすく伝えていると僕は思う。難解で多義的で普遍的なことを、音楽というフォーマットで、軽やかに伝えている。


ラブリーのラストの一節。


「誰かの待つ歩道を歩いてく OH BABY LOVELY LOVELY WAY 息を切らす」


こうやって書くと気恥ずかしすぎるが、わかりやすさ、そして深さの好例として引用してみた。
さっきまで、散々、「君と僕とは恋に落ちなくちゃ」とか「僕ら手を叩き、わかり合ってた!」とか言ってたのに、ここにきて「誰か」である。誰かって誰だ。誰かだ。ラブリーウェイの先で待つ誰かである。君ではないかもしれないし、君かもしれない。
この一節に至るまで、繰り返される「LOVELY WAY 息を切らす」。これは即ち恋愛における高揚、ドキドキ感を表しているといっていいだろう。皆さんよくご存知のアレである。生の喜びの一つである。


誰かが待っている。それだけで息が切れる。誰かの存在が、息を切れさせる。
そんな強度を持った関係性を、とてもスマートに表現している。小沢健二の世界観を凝縮した表現だと思う。
ついでに言うと「痛快ウキウキ通り」は「LIFE」の世界観を3分半に凝縮した作品である、と小沢健二は語っている。そのラストのフレーズもこんな感じ。


「それでいつか君と僕とは出会うから お願いはひとつ笑顔で応えてと!
 唾を吐き 誓いたい それに見合う僕でありたい」


そして「僕」は、鼻水出りゃ擦りながら、痛快に降る雪の中、おそらくは「君」が待つであろうウキウキ通りを歩いてくのである。
「LOVE」は一人では出来ない。君が居ないと出来ない。君が待っているラブリーウェイ、あるいはウキウキ通りの先。心はなんだか高揚している。生の喜び。この愛はメッセージ。強い気持ちと強い愛。一瞬の夢。それらが育まれる「君」と「僕」との関係。そして色味を帯びる自我。誰かとの関係性において。


当時の小沢健二が興味の対象とし、表現しようとしたものはそんなものたちであっただろう。言うまでもなく、それすなわちLIFE、である。
一方、当時の僕は絶賛童貞エヴォリューション中であったことは言うまでもない。ポケットの中で魔法をかけて☆

「球体の奏でる音楽」〜シングル群


「LIFE」リリースから1996年の冬にかけて。僕の高校時代とほぼ同じ時期。
小沢健二は引き続き精力的に活動し、紅白出場も果たした(ラブリー!)。今では希少価値の高くなったシングル群を発表した後に3rdアルバム「球体の奏でる音楽」をリリース。1996年の秋口のことであった。
先行シングル「大人になれば」を聴いた途端に、あ、また来たな、と思った。例のアレである。興味の矛先が、リスナーの想いも寄らない方向へ向けられている、という感覚。
そのアルバムはジャズ編成でジャズのアルバムと言っていいくらいの作りになっている。善し悪しは別として、僕にはとっても新鮮で、味のあるアルバムとなった(『ホテルと嵐』が大好き)。尾道、ブルーズ、土着性。王子様とやらは、今度は誠実な音楽青年に切り替わっていく。そんな時期であっただろう。その後にシングル「夢が夢なら」を発表し、『ひふみよ』以前のラストライブを行い、一連のジャズユニット的活動に一旦の区切りをつける。


そして1997年。僕は東京の大学に入る。初めてのことばかり。リアルに、世界への扉が開いた時期であった。


「Buddy/恋しくて」「指さえも/ダイスを転がせ」「ある光」「春にして君を想う」。
大学一年の夏から冬にかけて、様々な試行錯誤を繰り返した結果であろうシングル群は、僕の大学時代を彩った。僕は彼の影響で、英米文学を読み、音楽を探し、サンリオSF文庫からSFにはまり、いわゆる上京した田舎者がやりそうなことをして過ごした。東京タワー、晴海埠頭、いちょう並木を訪れて、そして江ノ島でフリスビー!我ながら大したものだ。


新しい友達もできた。いろんな映画を観た。映画を撮った。夜中に小沢健二の音楽を聴いた。酒を飲んで騒いだ。青春ってやつだ。いわゆる。
あの時開いた扉の先にあったのは、心を彩る様々な生活。
導かれるままに、扉の先へ。
地味で冴えないながらも、僕は僕の人生を歩んだ。

「刹那」


これが最後の引用になる。
小沢健二ファンには有名なエピソードのひとつに、笑っていいとも出演時のエピソードがある。
あのタモリ小沢健二を高く評価しており、特に「さよならなんて云えないよ」の一節に感嘆した、と語った。特に「左へカーブを曲がると 光る海が見えてくる 僕は思う この瞬間は続くと いつまでも!」というフレーズを評して、「光る海が見えて、そのあとにいつまでも続く、ってなかなか言えないよね」などという趣旨の感想をタモリさんは語ったのである。
僕はもちろんTVの前で膝を打った。タモリ、いや、タモさん!分かってるな!と。
それに続く小沢健二の言葉。
「普段の生活の、何でもない瞬間が、ヒュッと永遠とかに繋がる、そんなことを表現したいといつも思ってて」


何度も聴いた「天使たちのシーン」。
まさか、笑っていいともでその意味を知ろうとは。


これが世に言う「刹那」問題である。世とは僕の世界のことです。狭いよ。


ベストと呼ぶにはあまりにもコンセプトディスク的性格が強いベストアルバム「刹那」のタイトルが示すように、小沢健二の表現の根底には、瞬間と永遠の接続、という概念が流れている。日常がどこかで極大へ連続する。そんな、日常に潜むダイナミズムの可能性を、恋愛や旅、友情や失恋、美しいはずの風景などに宿して、小沢健二は刹那を表現しようとする。それを裏付ける彼のコメントは、なかなか本心を語らず、メディアにおいて我々を煙に撒くような言説を繰り返した彼の見せた、さりげない本心のような気がする。


何度も聴いた「天使たちのシーン」。大事な場所で、大事な時に、耳を傾けた曲。
バカなことをしゃべりまくる僕たちや、女の子のネッカチーフの赤色。とても大事で、心を打つ刹那と、止まらないルール。
僕があの時感じた何かは、きっと間違っていないと思った。

そして沈黙。そして復活。


やがて小沢健二は暫く沈黙する。「eclectic」は、NYからの新たな試み、現時点での最新音源である「毎日の環境学」に至っては、全曲インストゥメンタルという作り。すでにあの「LIFE」から12年もの歳月が過ぎていた。
このまま小沢健二は、隠遁し、音楽以外の新たな活動に没頭していくのではないか、と囁かれていた。
しかし、ファンは知っていた。
彼がかつて見せた生=LIFE を主軸とした興味の対象が絶えず変化することを。それはまだ続いていたことを、少ない情報の中から感じ取っていた。


そして2010年、『ひふみよ」に至る。ようやくここまで来た。


僕はただ、衝動に突き動かされて、チケットも無いのに、公演日、中野サンプラザへ向かった。仕事を終えて、ただその場所にいたいというだけの願望が僕を動かした。
着くと、僕と同じように思っている方が15名くらいはいらっしゃった。奇妙な連帯感。
あの扉の向こうに小沢健二がいて、歌を歌っている。そう思うと、なぜか嬉しくなった。何故か。僕は彼のファンだからだ。
長らくの沈黙を破って、ライブを、今この時間に、この場所でやっているのだと思うと、僕の心は、中学の時、初めてあのアルバムを聴いたみたいに疼いた。そこには扉があった。


僕が到着して、ほんの数分後。
少しだけ開いた扉の向こうから聞こえてきたのは「天使たちのシーン」。
心が確かに震えた。溢れだす。


かつて、小沢健二は言った。「僕ほど音楽のことを分かっている人はいない」。
その言葉を聴いた時は「傲慢だなあ」と思ったものだ。
だが、今ならはっきりと言える。『ひふみよ』に行かれた方ならわかるだろう。
彼が理解する音楽とは、知識やテクニックだけを指すのではなく、ましてや元ネタの有無を語るものではない。
音楽とは、生活を彩り、心を動かし、関係性を深めもする、君と僕が育む営みの一つだということを、音楽とはLIFEだってことを、音楽の力を、小沢健二は誰よりも知っていたのだ。


中野サンプラザで、続く楽曲の数々を微かに聴いてみる。否応無しに、僕の10代に起こった様々なことが浮かび上がってくる。そして今に繋がっていく。
溢れ出して、止まらない。繋がって、止まらない。
そうか。こういうことだったんだ。


小沢健二の音楽を、僕は信じた。
小沢健二の世界を、僕は愛した。


だとしたら、少しだけ流れた涙に、なんら不思議はないだろう。
君や僕を 繋いでる緩やかな 止まらないルール。


過去のアルバムも再販されているみたい。
どうか、聴いたことが無い人がいたら、ぜひ聴いてみてほしい。


小沢健二ファンは信者っぽい、と揶揄されることが多いが、僕のこの文章を読んでもらえればわかるとおり、揶揄されても仕方がないと思っています。すんません。そのとおりかも。


まだまだ書きたりない。フリッパーズ時代やら、「夢が夢なら」の奇跡のような歌詞についてなど、まだまだ書ける。しかし今回はこのへんで筆を置こう。いい加減、ウンザリされているのは覚悟の上だ。あなたに向けた純然たる悪意と思ってくれて構わない。


ここまで読んでくれた方に巨大かつ不気味なキスと感謝を。ほんますみませんでした。


なぜこんな文を書いたのかって?
そんなもん『ひふみよ』行けなかったからに決まっとるやろ!僻みじゃーい!
五月分として書いていたが、気がつけば半月もかかって書いたのは内緒だ。


というわけで、予告どおり迸った文章を書かせていただいた。オチはない。そのうえウザいこと甚だし。だが、少しでも、皆様が小沢健二について考えていただくきっかけとなれば幸いである。


そして願くば、ふたたび小沢健二が戻ってきてくれることを祈らせてもらいたい。
ライブでも音源でもいい。
音楽で、また新しい扉を開いてくれることを祈っている。


音楽は成長する。そして僕らも。
音楽に耳を傾けるたびに、ひとつひとつ、世界に向けたささやかな扉が開いていく。


それは、僕の扉で、あなたの扉だ。


ではまた来月。
長文、正直すまんかった。

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以上、2010年6月の日記より転載。