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アマチュア映画監督 雨傘裕介の世に出ない日々です。

世界のすべてのオペラシティ~3年越しの小沢健二「東京の街が奏でる」レポート~

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再びこの日が来ようとは。

そう、この僕が、小沢健二について書く日。

 

2010年、アホほど長い文章を書き、あまつさえブログなんぞに公開し、ちょっと反応があったからといって、一人で読み返してニマニマしたり、翻って文才の無さを反省したり、とにかく気持ち悪いことをして過ごしていたこの僕が、再び小沢健二について語ろうとは。

 

 

2012年3月に小沢健二のライブ『東京の街が奏でる』が開催されて以来、早3年が経過した。

 

 

この3年のうちに行われた小沢健二の活動を振り返ると、実に活発であったことがわかる。

同年3月21日、作品集『我ら、時』が発売され、それに伴う本人のUstream配信、サイトでのメッセージ発信という積極的な情報発信が行なわれた。

さらに『我ら、時~ポップ・アップ・ショップ』と題された展覧会が全国で繰り広げられた。 

2012年10月、スカパラスチャダラパー主催のイベントにシークレットゲストとして、小沢健二が登場するとともに、翌年の真城めぐみのライブにも登場した。

現在に至るまで、公式サイト「ひふみよ」を介してコンスタントに本人による発言が継続し、「LIFE」発売20周年を記念した番組「超LIFE」に本人がコメントを寄せ、そしてなんと2014年には、「笑っていいとも」に出演したのであった。

そう、2012年以降。時はまさに「大オザワ時代」である!(ド ン !)

 

そう言っても過言ではないくらい、小沢健二に纏わる情報がいちどきに過剰に配信されたことにより、小沢健二ファンは、かつての無風時代からのギャップに惑い、慌てて情報収集に走り、公式・非公式問わず、様々に発信される情報に翻弄されることとなった(半笑いで)。そしてその半笑い状況は2015年の今も続いている。最近では「ドゥワチャライク」の最新号までリリースされる始末である。

 

無論、その半笑いには期待と喜びが含まれており、無風時代との格差が、喜ばしい驚きと共に我々に迫ったのである。

僕も半笑いを浮かべた一人であることは言うまでもない。

 

そして、特筆すべき点が一つある。

今回、再び小沢健二について語る大きな要因。無二の理由。

それは、僕がついに小沢健二のライブに行くことができたからである。

 

『東京の街が奏でる』~第四夜~、2012年3月26日(月)、東京オペラシティタケミツメモリアルホール。

 

長かった。

小沢健二の楽曲を初めて聴いてから、19年の時を経て、僕はついに小沢健二のライブを観ることができた。

 

僕と同じような境遇の方はきっと少なからず居るであろう。十二夜にわたって行われたライブで、生の小沢健二の楽曲に触れ、心を震わせた人。 期待と喜びを持って、念願の機会に居合わせた人。

僕もその一人として、僕自身の日常と合わせて、今回のこの一連の、小沢健二が在した時を語ってみようと思う。

恐らく長くなるだろう。ライブレポートなんて、ちょっとした添え物のように、言い訳程度に差し込まれるはずだ。 

そして完全に機を逸している。書くのに3年もかけてしまった。

だから、この長い話を読みたくない方は、この辺で戻るボタンでも押して欲しい。 

 

 

警告は行った。

 

よし、ならば読んでもらおう。

 

今、再びの小沢健二についての文章。

極私的な「現在性」と「実感」を混ぜ込んで、それらを軸に書いてみよう。

 

 

 

突然のUstream 

2011年11月のこと。

前回のライブ「ひふみよ」に行けなかった僕は、あまりの喪失感に酒に溺れ、危険なビジネスに手を出した結果、財産を失い、友に裏切られ、愛も恋も忘れて、誰も信じられない無為な日々を過ごしていた(嘘)。

 

そんな最中、Twitterで妙な文字列を見つけた。「小沢健二待機」。

 

最初は意味が分からなかったが、どうやら小沢健二Ustreamに登場するということが、タイムラインを追っているうちに分かってきた。

僕は目の覚めるような衝撃を受けた。時計を見ると、開始予定の22時まで間がない。

すぐに会社を飛び出し、最寄りのマンガ喫茶にチェックイン。漫画も飲み物も持たず、本部からの指令を受ける諜報員のごとくモニタの前に鎮座し、Ustreamの画面と公式サイトの画面を交互に見比べる。やってることはしょぼいが、キーボードとマウスを暗闇で操る俺カッコイイ。やがて22時。

 

……何も映らない。やがて公式サイトは落ち、アクセスできない状態になった。

しかしこんな時のTwitter。「♯ozkn」を検索。すると、公式サイトではなくUstreamのサイトでは映像が流れているらしい……!

 

 

 

映った。風の音。どこか遠くの街の音。

モノクロで映された屋上からの風景。日中だから、日本ではないことが分かる。微かに声が聞こえた。 

 

この時点まで、僕は小沢健二斉藤和義よろしく、ゲリラライブ的な何かを演るのだと思っていた。ほんの一曲、軽妙に、途中経過として。

しかし、そうしたものとは空気が違う。まるで本物のテロリストのような。大きなメディアを持たない、街に潜む扇動者。

風の音が続く。マイクのノイズが聞こえ始める。すぐに小沢健二が現れた。テーブルに据えられたノートPCの前で、口を開く。

 

再びライブを行う。場所は東京。詳細は公式サイトで見て。公式サイトは重いけれど、見れば分かるようになっている。そんな内容。

 

「最初にやるところは一緒にやりたかったなと思っております。だからUstreamで、音質とかもっと良かったら色んなことができるんですけれど、けっこうこれギリギリでやってるので(笑)」。

 

あっという間に放送は終わる。

 

しばし唖然。ライブじゃなかったのか。いや、それより、またライブをやるのか。

 

久しぶりに動いている彼を見た。そういえば、そうだ。歌も音楽も写真も文章もあったけれど、前回の『ひふみよ』に行っていない僕にとって、動いている彼を見たのは本当に久しぶりだ。

思ったより冷静に、僕はPCの前から離れる。冷静なのは、きっと期待が大きすぎたからだろう。

 

歌が聞きたかった。別に僕はアイドルとしての小沢健二を求めているわけじゃない。動画だからって、中継だからって、サイトが落ちたからってどうだっていうんだ。流行にのっかっちゃってさ。僕は彼の音楽が好きなんだ。言葉が好きなんだ。

またライブ?ふーん、金儲け乙。どーせチケットなんてとれないんでしょ?定期的にライブやってりゃ、定期収入になるもんね。しょせんは芸能人よの……。

 

瞬時(約0.5秒)の冷静とシニカルが僕を満たした後、僕の手は信頼できる友人にメールを打っていた。文面はこうだ。

オザケン、またライブやるんだって!やべー!!ユースト見た?」

 

他愛もないメールを、一文字打つごとに興奮がやってくる。

 

約束もなく、ライブ後にしばらく姿を消した小沢健二。彼が再び戻ってくる。

人々のつぶやきの中から徐々に姿を現し、期待を帯びて、一度きりの機会で、伝えたかった言葉を放つ。まるで扇動者のように。#ozknはUstreamについてのつぶやきで満たされる。みんな興奮している。やばい。絶対行きたい。絶対観たい。聴きたい。

 

興奮するなんてみっともない。僕はもう10代じゃないんだ。そんな矜持とは裏腹に、僕の心はあてもない期待に満たされていく。

 

「最初にやるところは一緒にやりたかったなと思っております。だからUstreamで」

 

最初は一緒に。

この言葉が、後に大きな意味を持とうとは、僕は知る由もなかった。

 

 

チケット当選の歓喜

 

後日、友人から連絡が入る。昨夜のUstreamYoutubeでも観られたとのこと。ライブ行きたいね、と。

アーティストの公式映像はすぐ消されてしまうのが常だが、誰かが録画した映像がどうやら残っていたようだ。

 

詳細が決まるまで待機する。友達からもらったひふみよのTシャツに袖を通して、ときどき小沢健二を聴く。いつもの日常。

 

やがてチケット発売の知らせ。抽選オンリー、会場は東京オペラシティのみ。一会場十二回公演……。

 

「こんなん絶対無理やろ!」と、僕は最初から諦めていた。前回のツアーよりも動員は少なくなるのではないか。一次抽選の日程も忘れていて、あわてて応募したくらいだ。期待してがっかりするくらいなら、最初から期待などしない……。哀しい処世術を発揮し、期待値を下げまくって応募する。これほど「ダメ元」という言葉が似合う行為も珍しい。

 

しばらくして結果が届く。1次抽選……落選。

一方、ひふみよTシャツをプレゼントしてくれた友人は見事当選。あれ…悲しくないはずなのに血の涙が……。

 

とはいえ、さほど落胆はしなかった。小沢健二がライブをするという事実は変わらない。日常は続く。彼のいる日常は続く。あのゼロ年代を過ごした僕にとっては、むしろ幸運な日々と言える。

 

そして二次抽選に最後の願いを託して、応募。

 

やがて再びのUstream宣言。今度は「リマッチ」と銘打たれている。

前回のUstreamでは、サーバが落ちるなど、充分な環境で配信できなかった故の再戦とのこと。

またも突然の告知である。今回は会社からそっと覗いてみる。再びモノクロの映像、今度は室内。スタッフにかける声が聞こえる。やがて語り出す小沢健二

 

朗読のごとく、手にした原稿を読み上げていく。フランクでもなく、予定調和すぎない、声明のごとき調子。

 

この時、「ひふみよ」のライブ音源、オリーブでの連載「ドゥワチャライク」をまとめた書籍などを同梱した箱、『我ら、時』の発売を発表している。中継会場には、バンドメンバー、友人も控えているようで、まさに「打ち上げ!」の様相であった。

「おいおい、呼ばんかい……」と、まるで連絡ミスでスルーされたクルーの一人のような気分を抱いたのは、そこにいたメンバーへの憧れがMAXに達していた自分の心境故であろう。

 

すぐさま『我ら、時』の販売サイトに繋がる。値段を見ずに注文してしまう。この瞬発力と決断力が普段発揮できないことを恥じる。

しかし、ねぇ、こんなもん絶対買うやろ!と、一人半笑いでニヤニヤしていたのを同僚に見られて訝しがられるのも一興。

 

そしてメールが届く。二次抽選結果。

結果は見事、当選!

 

安堵と喜び。

行きたくても行けない人もたくさんいるから、この幸運に感謝しようと思った。その上で喜ぶ。めちゃ喜ぶ。

可能性が芽吹く。素晴らしい体験の可能性。何かを変える可能性。音楽というささやかで重要な人生のファクター。単純かつ複雑な構成要素。そのうちの一つが、好きなもので満たされる喜びが芽吹く。

 

ようやく。

積年の願いが今に繋がる。変な実感が満ちてくる。現実味がありすぎてあまりない。

ひふみよライブの音漏れを聴いた時に味わったあの感じを、僕はスマートフォンを握りしめ、改めて感じていた。

 

 

平和なるゲリラ

 

リマッチの模様はすぐさまYouTubeにアップされていた。驚いたのは、公式サイトにもその動画のリンクがコメントと共に掲載されていたこと。何処かの誰かがアップした映像を、削除するでもなく、むしろ積極的に利用している。

 

そのあとも、例えば『我ら、時~ポップ・アップ・ショップ』のエントランスに貼られた注意事項には「Twitterでぜひ拡散してね」という趣旨のアナウンスがあったりなど、ソーシャルメディアの活用を僕らに促し、奨励する姿勢が見られた。

 

これは「小沢健二」というアーティストにおける「公式」という名の情報および判断とは(2012年現在の小沢健二の周辺において)、小沢健二本人の判断であり、彼はソーシャルメディアの活用を我々に促すことで、自由に情報を再生産させることを認めている、ということであろう。

 

もちろん宣伝、口コミ、といった効果はあるだろうけど、そんなものは瑣末な副次物でしかないと思う。

僕らが「公式」に対して何かを思い、考え、反応し、行動することで、少なくとも今現在のネットワークにおいて、僕ら主導のゲリラ的情報交換が為される。そのような状態を「公式」たる小沢健二が望んでいるのではなかろうか、と推測する。

 

扇動者のごとく、限りなく自前に近いメディアを通じて僕らにメッセージを投げる小沢健二

それに反応し、半笑いで(あるいは大喜びで)メッセージを、もしくは自前の言葉を広める僕ら。

 

このゲリラ活動は、我々のような「平和なるゲリラ」を産み、それでいて教条主義的なアーティストと消費者の体制を解体していく。

そんな効果を期待して、もしくはそんなに意識しないで「そっちの方が楽しいよ」って理由で、僕らのゲリラ活動を煽っているようにも思える。

 

確かに、消費者としての我々は、アーティストやら企業やらの活動において、どこかに「公式」という存在を無意識に設定している。圧倒的正しさとしての公式は、正しい(とされる)情報を与える一方、正しさからの逸脱をあまり許さない。コンプライアンスとか言っちゃって、正しさ権利をことさらに主張する。

それは悪いことではないし、正しさ故に正しいことだ。その一方で、僕らも公式に対して正しさを要求している。そんな当たり前にして実は熾烈な約束を無意識に展開する今の社会あるいは消費経済、文化活動において、今回のこの小沢健二の態度は、やはりなかなかに面白いものではなかろうか。何でもありではないが、あえて正しさのみを約束しない……うまく言えないけれど。

とにかく、攻撃性を持たないネットワークと、それを支える僕らは「平和なるゲリラ」の一員となることができたのである。わりと容易に。平和的に。

 

話がそれてしまったが、そんな僕らの期待と喜びとを運ぶ日常は過ぎて、程なく、待ちに待ったライブの時期を迎える。

 

その頃の僕は、再びの社会復帰に向けて、うらぶれた日常からの脱却を試み、イリーガルな組織からの足抜けとそれに伴う報復を乗り越え、傷ついた身体を路地に横たえたのち、頬を優しく舐める野良犬に「お前も一人ぼっちか……」とつぶやきつつ、やがて来るライブの日に向けて、生きようと誓っていた(という妄想です)。

 

 

僕らの旅とマチエール

 

そしてライブ前の週末。僕の手元に大きめの箱が届く。小沢健二作品集『我ら、時』の箱である。

早速ライブCDを聴き、「ひふみよ」ライブを追体験する。行っていないが、とにかく追体験する。

夢にまで見た「ドゥワチャライク」の抜き刷り。「うさぎ!」のダイジェスト。そして何より「ひふみよ」のライブ盤。

 

耳を傾ける。

そういえば、ライブ音源はシングルのカップリングで聴いていた。かつてはアホみたいに武道館ライブのVHSを見ていた。

でも、そんな過去のどれとも違う、今の小沢健二が歌っていた。声は低く、それでも観客を魅了していたであろうパフォーマンス。メンバーはスカパラホーンズを中心とした構成。えらくカッコいいダンスチューンにアレンジされた「天気読み」。スチャダラパー登場!の「今夜はブギーバック」。アンコールの「愛し愛されて生きるのさ」……。どの曲も素晴らしい。

  

そして何より特筆すべきは、小沢健二本人が言うところの「モノローグ」のパートだろう。普通のライブならMCが入るところ、小沢本人による朗読が入る。しかもかなり長い。かつて彼の随想に身を寄せた者たちにとっては、往年の言い回しが蘇ったような、聴くドゥワチャライクのような、彼の考えが比較的ダイレクトに伝わるファクターとして楽曲の間に挟み込まれる。

僕はイヤフォンでそれらを聴きながら、ただの音源でも朗読でも得られない感覚を得た。「ひふみよ」だけではなく、プレミアムBOX、手工芸品としての「我ら、時」が手元にあるのとあいまって、「触感」というべき感覚を与えられるのである。プリミティブな感覚をパッケージして、楽曲と共に、聴覚と触覚、もちろん視覚にも、ある徹底したイメージを放ってくる、といった感じだ。

 

同じ折、「マチエール」という美術用語があるのを知る。「質感」に近い意味らしいのだが、受容者の感覚における質感、つまり対象そのものの質感ではなく、観る者、触れる者に芽生える感覚も指すという。

 

僕にとっての「我ら、時」は、音源としてもパッケージとしても、そのマチエールを呼び覚ますものであった。そしてそれが、今回の本題「東京の街が奏でる」に繋がる、今の小沢健二を理解する上でのフックとなると考えている。

彼は今、極めて原始的な「感覚」に立ち戻ろうとしている、いやむしろ始めから、それを志向していたのではないか、という仮説。音楽や言葉を媒介して展開する、僕らの旅とマチエール。

 

「まっくらやみの中で音楽を聴いていた日のことは、ぜったいに忘れない。その記憶は消えることはない」

 

冒頭のモノローグ「闇」の中で触れられる2003年NY大停電の夜。世の中の裂け目で音楽を共有し、同じ時を過ごした経験を小沢健二は暗闇で語る。「ひふみよ」冒頭、暗闇の中で音楽を奏で、聴かせて、観客にその体感を共有する。

「ひふみよ」を通じて僕が感じたのは、そういう姿勢だった。

世界を旅して、世界を経て得た体感を、音とshowに変えて届ける。華やかでありながらとてもミニマムな、原始的なメッセージ。僕らに向けた久しぶりの約束と現在。プレゼント。正しさよりも手前の約束。誠実さ。

そんな風に届いたのだ。

 

 

どこいこう どこいこう 今

 

かくして、約2年ぶりの雪辱をライブ盤にて晴らし、いよいよライブ当日を迎えることとなる。予習は万全。第一夜〜第三夜に参加した方のレポートも一切遮断した。いや、もしかしたら見ていたのかもしれないが、頭には入って来なかった。それほどまでに僕は自分のターンに集中していたと思う。有給もとった。完璧なコンディションと言えよう。

 

そして、新宿西口を抜けてオペラシティに到着。周りにはオサレかつエッジィな人たちがたくさん。こんな感覚は上京当時の90's裏原以来やで……!と田舎者根性が蘇るのを抑える。みんな小沢健二ファンなのだろう。しかし僕の目には、彼らは充実した人生を送っているように見える。ありとあらゆる音楽と芸術を通過した上で「まぁ小沢健二もいいよね」みたいな余裕を持って臨んでいるように思えてしまう。

まさか僕のように、手汗でチケットがシワシワになっていたりはしないはず……。挙動不審のまま会場に入る。まさかチケット不備で係員を呼ばれるのではないか…。ありもしない不安を抱きつつモギリをクリア。いける……!今日のオレは一味違う……!

 

 

会場では物販が展開されていて、可愛らしいTシャツとスカーフ、「我ら、時」が展示されている。Tシャツはとても着心地が良くて、ここでも体感へのこだわりを感じる。今日、この日のライブへの期待がロビーを満たしている。

 

偶然にも同日のチケットが当選した友人カップルと会場で再会。お互い挙動不審だ。わかるよ。わかる。

コンサートホールだからか、上品なイートインがあって、ペリエなんかを飲むことができる。マフィンもある。限りなく濃く漂うクラシックオーラに、小沢の血統を感じたりして。

 

 

やがて開演の時を迎える。

舞台にはテーブルと椅子が数個。テーブルにはそれぞれメトロノームが置かれている。ドラムセットはない。

オペラシティのとても高い天井に、まるで鼓動のように、メトロノームの音が響いていて、皆の鼓動が同調し、吸い込まれていく。

そして、メトロノームが止められる。暗転。

 

ライブが始まる。「東京の街が奏でる」と銘打たれたコンサート。

みんなが待っている。僕らの鼓動と感覚が静寂に吸い込まれ、リンクし、オペラシティという名のホールに響いていく。

  

やがて暗転のまま、一人の男性がステージに現れ、小さな箱を操る。

流れ出したのは「いちょう並木のセレナーデ」のオルゴールversion。「LIFE」の最後の曲だ。

明転。ゆっくりと動く男性はハナレグミこと永積タカシさん。会場がどっと湧く。

 

 

ノローグが始まる。「振り子」というタイトルのモノローグらしい。

 

毎日、日替わりでゲストミュージシャンが前説を担当すること、一曲程度セッションすること、東京の街で音楽を奏でているミュージシャンがゲストに選ばれていること、今日のライブを楽しんでいって欲しいこと、そんな内容を説明してくれる。

後ろのスクリーンには影絵が映し出され、立った鹿が映し出されるとみんな立って、座った鹿だとみんな座って欲しいというルール、男性と女性、それぞれが歌って欲しい時にはそれに応じた影絵が映し出されることなどを説明。何だか微笑ましくて、会場がリラックスした空気に包まれる。そして退場する永積さん。

 

 

そして小沢健二がステージ中央に現れる。

 

 湧き上がる拍手と歓声。

メトロノームについてのモノローグ。

 

時を分割して刻むメトロノーム。それは、東京の街で、どんな響き方をするのだろう。

そんな趣旨のモノローグのあとで、メトロノームに近づいて、それを動かす。体感がはじまる。

 

 

小沢健二がギターを抱え、歌い出す。

「東京の街が奏でる」。新曲だ。

こうして、ライブが始まる。

 

  

僕と小沢氏の間はさほど離れていなかった*1僕は最前列、ステージのほぼ中央に立っていた。

きっとライブを観たら感激するだろう。たまらなく嬉しいんだろう。女の子に混じって「キャー」とか言ってしまうのだろうと思っていた。

でも、そんな風にはならなかった。

 

ステージ後方の4つの椅子にはストリングスの女性たち。弦楽四重奏の様相。

一番下手にはリズム舞台の中村キタロー氏、最も上手のテーブルのそばには、コーラスの真城めぐみさん。

  

「ひふみよ」とは大きく異なるアプローチで「東京の街が奏でる」は展開する。一部の曲では小沢健二のギター一本での弾き語り形式が披露される。

小沢氏はギターを抱えながら、時にギターを叩いたり床を踏みつけて、ドラム代わりのリズムを入れる。リズム隊は中村キタロー氏が一身に担っている。そしてバイオリン2名とヴィオラ、チェロの四重奏。皆さん高名な演奏者の方らしい。みなさん可愛らしく、物販で販売されていたスカーフで髪をアレンジしている。

 

きっとライブを観たら熱狂するだろう。涙があふれてしまうだろう。

はじまるまでそんなふうに思っていた。しかも最前列という幸運に恵まれた。

でも僕は、熱狂しなかった。

ただ、とても静かに興奮していた。

 

心地よく心が響く。心に音楽が響いていく。身体にリズムが刻まれ、観客全体のリズムが流れとなって奏でられる。小沢健二がその発端と中心を担う。

僕はこのライブに飲み込まれた。鑑賞というよりも、奏でられる音楽の一部になった。おそらく、他の観客も同じような感覚だったのではないだろうか。

 

そこにはやっぱり、時間があったからなのだ。小沢健二の音楽を聴いてきた、これまでの時間に含まれた経験と体感があったからこそ、僕らは飲み込まれた。

僕らひとりひとりの時間を受け止め、笹舟のように流れに乗せる。東京という街の、この時。その一部。

今回のライブが志向したのは、僕らの時間を受け止め、共有し、新たな時を刻もうとする試みであったのだろうと僕は思う。

第四夜、最前列で僕は思う。

 

 

「いっしょに行こう」

  

今回のライブのハイライトを挙げろ、と言われれば、多くの人が「ある光」と答えるかもしれない。

 

前回の「ひふみよ」ではワンフレーズだけの演奏であったと聞く。しかし今回はフルコーラスで演奏された。あの印象的なメロディがストリングスで奏でられ、意味深い歌詞と熱いギターで叩きつけるように歌われた「ある光」。元ネタであるEric Kazの「Good as it can be」に近しい情緒的なストリングスで、僕らの興奮を誘う。

  

今回のライブでは、原曲の歌詞「Let's get on board」が「いっしょに行こう」とアレンジされていた。「ラブリー」における「完璧な絵に似た」と同じく、英語のフレーズを廃する方針に基づく改変と言えるが、圧倒的なパフォーマンスと共に耳にすると、とても深い意味を持つフレーズとして伝わってくる。

 

 

「ある光」の歌詞の一部。

「この線路を降りたらすべての時間が 魔法みたいに見えるか

今そんなことばかり考えてる 慰めてしまわずに」

 

十数年前の楽曲の歌詞に「時間」というワードが刻み込まれている。そして「我ら、時」や「時間軸を曲げて」。細かく見て行けばきりがないほどに、最新の小沢健二の作品には「時間」という概念が直接、婉曲を問わず現れているのにリスナーは気づくだろう。さらに言えば、永遠を表す「ずっと」という言葉は、小沢健二の楽曲には欠かせないワードの一つだ。

 

「ある光」には、主体となる自分が変容する(=線路を降りる)ことで、自らの時間が良き方向へ移り変わっていくのか、という問い、あるいは移り変わって欲しいという願いが込められていると捉えてみる。1998年当時、小沢健二が捉えていた自らの時間と未来は、おそらく変容しようとしていたはずだ。でなければ、あの空白の数年間、日本を飛び出していったその後の時間は訪れなかった。変容の結果としての「今」があるはずだ。

リリースから数えて15年。今回の「ある光」は、シングルCDとしてリリースされた時点と、十二夜の、ライブのひとつの曲目として演奏される時点を結びつける特異点だった。その時間の間に僕らは変わっていった。変わり続けた。小沢健二自身もおそらく変わったのだろう。

いや、「おそらく」なんて言葉を使う必要はない。変わったのだ。僕らと同じように。そうした長い時間が魔法みたいに見えたかどうか。僕らはそれを無意識に問う。小沢健二と自分たちに向けて。

 

長い時間には体感が伴う。振り返るとあっという間でも、僕らの身体は15年分の知覚を受け止めてきた。瞬間的な体感、記憶を伴う永続的な体感。それに感情が結びつく。僕らは時間を経ても、それを鮮やかに思い出す機能と能力を有している。

音楽が流れると、僕らの機能が作動する。匂いが漂うと、僕らの機能は作動する。そうして体感が記憶へフィードバックするのと逆のルートを辿り、音楽も記憶から体感へ働きかける。リズムが体感を生む。メロディが体感を作る。体感がリズムとメロディへ反映される。そのようにして、僕らは旅をする。

 

そんなふうに僕ら観客の体感を生み出し、媒介するのはアーティスト自身の体感に他ならない。

「ポップ・アップ・ショップ」を思い返してみよう。目からの情報。彼の配偶者、エリザベスさんが撮った写真は体感を想起させる。土地の空気をうまく切り取っている。

 

耳からの情報。小沢健二が訪れたであろう土地の音を、僕らは身を寄せ合って聴く。彼らの旅は僕らの旅として追体験される。小沢健二とエリザベスさんの体感を媒介として。僕らの共通言語として。

 

リアルとフィクションは対立概念ではない。

時にリアルはフィクションを凌駕し、フィクションはリアルの幅を広げていく。その繰り返しだ。少なくとも、人一人の認識においては。

小沢健二が世界を獲得して得たリアル(体感は第一義のリアルとして)は、音楽、ポップスとしてのフィクションに影響する。僕らはそんなサーキットを、フィクションとしての楽曲から受け取る。彼の旅は彼個人に留まらず、僕らに向けて、フィクションの形をとって、音楽を伴って、劇的に披露される。僕らの感受性を彼は信じているはずだ。地球の果てのようなレソト王国にも、東京という街の一部にも、僕らはいっしょに行けるのだ。

過ぎていった時に宿ったリアルを辿り、フィクションという魔法のような共通言語を語りながら、音楽を奏でてそれを果たす。

 

 「いっしょに行こう」。

そんなフレーズ。時とリアルとフィクションが未分化のままに押し寄せる。どこ行こう、いっしょに行こう。かつて自らを誘った変化の先に、観客を導いて行こうとする意思のようなもの。「ある光」にはそんなものが込められていたと感じた。光のごとくに、未分化のままに、ひとつの砂粒にも似た僕らを導いていく流れ。小沢健二の表現はそんな音楽になっていた。

 

 

世界のすべてのオペラシティ

  

では、小沢健二自身の変容とはいかなるものか、と考えないわけにはいかない。

彼は時を経て、旅を経て、どのように変わったのか。

 

「変わってないわ!いつまでも私の王子様!」なんて人は一握りだと思う。やはり「LIFE」の時代と同じとは言えまい。

この問いには、個人的には、村上春樹氏の変容*2を参考としたい。

 

結論から言うと、小沢健二はコミットメントを志向し、活動の軸にそれを置いた、と考えている。

 

フリッパーズ時代の言説は拒絶、デタッチメントの最たるもの。既存の価値や狭量さを鼻で笑いつつ、自分たちが良いと思うことをひねくれながらも突き進んでいた時代と言えよう。

反発と音楽への敬愛を内包しつつ若さに乗っかったあの素晴らしい90年代初期の作品群。

やがて小沢健二は、拒絶と反発の要素をフリッパーズ時代の楽曲と態度に閉じ込め、一人のアーティストとして歩み始める。そこから時間が過ぎ、1998年の「ある光」と「春にして君を想う」以降、彼はおそらく、この世界との関わりを、人の営みとしての音楽との関わりを改めて考え、自らにできることを問うたのだと思う。

そのために、多くの時間が費やされた。

 

やがて彼が発したのは、資本主義、商業主義への懐疑と明確なアンチテーゼを含んだ児童小説だった。「うさぎ!」はもはや児童小説の形を借りたプロパガンダであり論文であった。全文を読めていないので予断を含むが、彼は「ひふみよ」で再び姿を現す以前は、かつて自らが身を置いた商業主義、コマーシャリズム、浪費的価値観からの反動として、活動を行っていたのだろう。

ニューヨークを拠点とし、多様な価値観を吸収し、世界を捉え、必要とあらば辺境へ向かい、現地へ赴き、彼の興味の対象となる、ミニマルで極大化された、プリミティブな世界を見てきたのだ。

常に自らと世界を捉えて、考え続け、既存概念の尊敬と破壊を同時に行い、旅を試みてきたであろう小沢健二は、自らが行う音楽活動に変化をもたらすために長い旅に出たのだろう。先述のUstreamでも本人がそのようなことを語っている。

そうして、ようやくコミットメントを志向するようになる。「ひふみよ」で語られた社会への視線。「ポップ・アップ・ショップ」で見せた辺境への強い憧憬。「うさぎ!」で語られる問題意識。それら全てを引っくるめて、小沢健二は言った。「最初にやるところはいっしょにやりたかった」と。

そこには決意が込められていたのかもしれない。

 

我々は平和なるゲリラである。世界に遍在し、楽しみを自由に分かち合い、時間と変化を受け入れて、時折流れる音楽に耳を傾ける存在。何者にも邪魔されない自由な行為を行う者たち。そうあるべきだ。「いっしょに行こう」と彼は歌う。我々は繋がってゆく。響き合う。音楽を介して、オペラシティという名のホールで。東京という街で。世界のすべてのオペラシティで。

「いっしょに行こう」と彼は歌う。

 

やがて、かつての関係は解体されたことに気づくだろう。あの地点から、再び戻ってくることはないだろう。あの川の砂のように混じり合い、流れていくことになるだろう。

 

それが、小沢健二が試みた「東京の街が奏でる」という実験であり、世界へのアプローチであった。自らを世界へ再び結びつけるための試みだ。そこには観客である我々が居た。どこまでも響き合う自由な砂のかたち。我々を介して、小沢健二は自らの変容に一旦の区切りをつけたのだろう。僕はそのように感じている。

そして、幸いなことに、それは音楽によって果たされたのだ。

 

「東京の街が奏でる」には、様々な仕掛けがあった。千秋楽には伴侶であるエリザベスさんがステージに登ったという。影絵を動かしていたのは盟友たち。十二夜それぞれ、東京で活躍するアーティストたちをゲストに招き、共演した。「扉」と題されたメッセージにより、オペラシティの入り口にはモニタが設置され、チケットを持たぬ観客もライブを体験できた。

 

伴侶を得て、父となった小沢健二

自らを世界へ結びつけるための変化と、その姿勢をこうした試みから読み取るのは無理があるだろうか。

手元のドゥワチャライクを読みながら、3年後の今、僕は自分が感じたことが、間違ってはいないと思っている。

 

新しい大衆音楽

 

いろいろと書いてしまった。もっと詳しいレポートは他のブログで探していただきたい。音楽に対する評価などは、僕の能力を超えたことなので遠慮しておこう。

ただし、誤解のないよう強調しておきたいのは、「東京の街が奏でる」で演奏された音楽は、小沢健二の最新の音楽であった、ということだ。決してかつてのライブの焼き直しなどではなく、リバイバル的な要素はほとんど無かったことは、流石の僕でも分かる。かつての小沢健二が語っていた「ぶっ壊したい」ということの証左と言えよう。

過去の音楽から、過去の自分から、常に変わろうとしてきた小沢健二の果たしたライブなのだ。もちろん、新しい音楽を、大衆音楽として、東京という街で響かせていた。

奏でる。音を鳴らす。そして響く。先鋭化されたプリミティブな音楽への欲求。僕らの誰にでもある内なる音楽を呼び覚ましてくれる、素晴らしいライブであったことを語っておきたい。

音楽が音楽であるからこそ、世界のどこでも響くことができる。それが、世界に再び繋がり得た小沢健二のメッセージなのではないだろうか。

 

さて、これからいっしょにどこに行こう?

さりげなく、ギターが鳴り始める。メトロノームが口火を切って、僕らも同様に揺れて響こうとする。マチエール、体感、時間。それらを内包して、再び僕らは流れ出してゆく。半笑いで、平和に、笑ったり嘆いたりしながらも、まるで砂のように風のように、世界のどこかへ流れ渡ってゆく。

幸いなことに、そこには音楽があるはずだ。

 

音楽が流れて、やがてギターの音色が聴こえてくる。僕らはもう知っている。それが留まらず、響いていくことを。

世界のあらゆる街へ。世界のすべてのオペラシティで。

 

 

 

以上、超長文失礼しました。

3年かかったので慌てて更新した。今は反省している

 

 

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rainfiction.hatenablog.com

 

 

小沢健二作品集 「我ら、時」

小沢健二作品集 「我ら、時」

 

 

 

*1:ワシははっきりと見た。オザケンは「Nudie Jeans」を履いておったぞ

*2:村上春樹河合隼雄に会いにいく (新潮文庫)』に詳しい